明治39年(1906年) |
日本有名家庭薬製造業者(現株主)が家庭薬及び化粧品を主として東南アジア中国東北部(旧満州)に輸出する機関として日本賣薬株式会社を設立し、東京本社、大阪出張所、シンガポール支店、大連支店を設置
その後、日本の医薬品、味の素、森永粉乳等の商品の南方各地における販売網を確立 |
大正 8年(1919年) |
資本金を100万円に増資 |
昭和14年(1939年) |
太平洋戦争勃発前々年、華僑の日貨排斥運動の激化により商業活動が極度に制限された為、シンガポール支店を日本賣薬公司として独立させ、シンガポールを中心に、同公司の社名のもと南方各支店(大連、奉天、新京、ハルピン、マレー、インドネシア、ビルマ等)での商業活動を継続再開 |
昭和16年(1941年) |
太平洋戦争に突入 |
昭和17年(1944年) |
日本軍のマレー、仏領印度支那進駐において、日本陸軍省より全マライ民需物資配給担当商に日本賣薬公司が指定され、戦時中南方各方面の物資の円滑な需給並びに現地生産(塩野義製薬等)を行う |
昭和19年(1944年) |
日本賣薬株式会社は主たる営業拠点を大連とし、中国東北各地方(旧満州)に医薬品・雑貨の販売業務を行う
太平洋戦争激化と共に、満州方面においても医薬品を含むあらゆる物資は軍の統制下に置かれ関東州医薬品統制会社が軍名により設立、そして当時日本国内医薬品生産高の25%を占める輸出全てを、この関東州医薬品統制会社を通じて供給することになる
その為、既に販売網、供給ルートを確立していた日本賣薬株式会社、日本賣薬公司の代表取締役社長(現、日売貿易株式会社社長の実父)が改めて、関東州医薬品統制会社の代表取締役に就任、結果として日本賣薬株式会社・日本賣薬公司を事実上、発展的に解散 |
昭和20年(1945年) |
終戦により業務終息 |
昭和25年(1950年) |
我国の貿易再開を機に海外得意先並びに家庭薬製造業者の要請により、資本金50万円を以って日本賣薬株式会社を再開し、輸出輸入の貿易業務を開始 |
昭和31年(1956年) |
総合胃腸薬『胃仙-U(WEISEN-U)(ワイセン-U)』を香港・シンガポール・中国・アメリカ等の国々へ輸出開始 |
昭和35年(1960年) |
取扱商品の分野拡大により現社名日売貿易株式会社に改称、資本金を500万円に増資 |
昭和37年(1962年) |
タイのバンコクに駐在員事務所開設 |
昭和39年(1964年) |
資本金を1,000万円に増資 |
昭和41年(1966年) |
産業情報の莵集及び技術提携斡旋業務開始 |
昭和44年(1969年) |
医家向薬品原料の分野に進出、ポルトガルの抗生物質メーカーCIPAN社の各種抗生物質の輸入販売開始、以後多くの分野での外国メーカーの代理権取得を積極的に行う |
昭和47年(1972年) |
紙パルプの取扱い開始、ポルトガル国営PORTCEL社(当時CELTEJO社)の紙パルプの輸入販売開始 |
昭和48年(1973年) |
食品原料の取扱い開始、ポルトガルACIL社のトマトペースト輸入販売開始
食品機械の分野に進出、西ドイツSTOCK社の大型殺菌機輸入販売開始
レジャー用品の取扱い開始、イギリスSTYLO社(ゴルフシューズ)の輸入販売開始 |
昭和49年(1974年) |
体外診断用医薬品及び、細胞培養用血清を米国から輸入販売開始 |
昭和55年(1980年) |
天然抽出複合体化粧品原料の本格的国内販売開始 |
昭和56年(1981年) |
副腎皮質ホルモンをスイス、イタリアから本格的に輸入販売開始 |
昭和57年(1982年) |
日本初スパイクレスゴルフシューズをイギリスSTYLO社より輸入発売開始
当時スパイクレスシューズが日本にまだ上陸していなかったため、財団法人関西グリーン研究所にて同社スパイクレスと鋲付シューズのグリーンへの影響テストをマスコミに発表、以降スパイクレスシューズがゴルフ業界において市民権を得る |
昭和59年(1984年) |
日本の中小企業の米国進出及び米国企業の日本進出の橋渡しを業務とするアメリカ
IIT(International Information Transfer)と業務提携 |
昭和61年(1986年) |
ブラジルJARI社の紙パルプ輸入販売開始
欧米の大学の医学部と日本の製薬会社の共同開発の斡旋業務開始 |
昭和64年(1989年) |
スイス・ビオストラス社(BIO-STRATH)の健康食品を本格的に輸入販売、健康食品市場へ積極的に参入 |
平成 元年(1989年) |
イタリアの革製品のトップメーカー、パウロ・ダ・ポンテ社(Paolo
da ponte)のベルトを輸入、全国有名デパートで販売開始 |
平成 2年(1990年) |
タイに於ける食品加工工場建設 |
平成 3年(1991年) |
タイ工場操業開始 |
平成 5年(1993年) |
骨粗鬆症治療分野で世界的に有名な開発力を有するイタリアGENTLI社の総代理店となり、新医薬品のライセンス・イン、ライセンス・アウト業務を開始
5月よりデンマーク・フレキシコン社(Flexicon)のペリスタリティック式定量充填機を総輸入元として、医薬、試薬、化粧品各メーカーに輸入販売開始
コンパクトに設計され、小ロットから大量生産まで可能 |
平成 7年(1995年) |
スペイン・スルドリー社(SURDRY)のステンレス製 熱水スプレー&スチーム式殺菌機を総代理店として輸入販売開始
米国FDA・USDAの低酸性密封加熱食品及びGMP規格(21CFR PART113)による認可を取得済み
生ビール空樽時に発生する泡の噴出しを防止するDFC(泡制御器)をカナダより輸入販売開始 |
平成 8年(1996年) |
クリーニングサービスの国内最大手のダスキンにて店舗で設置しているDFCの洗浄レンタルサービスを開始
店舗での生ビールライン内に発生するビールの汚れ(ビール垢、酒石等)を抑制・静菌させるBLM2000の輸入販売開始
丹平製薬(株)のアルエットアトピタベビー用トイレタリー商品を香港へ輸出開始 |
平成 9年(1997年) |
フィンランド・サボックス社(SAVOX)の無線機構内PHS用頭骨マイク・スピーカーの輸入販売開始
ニュージーランド・パシフィックヘルメット社(Pacific Helmets)の消防救急用ヘルメットの輸入販売開始
国内最大手ビールメーカーのキリンビールの店舗にて本格的にBLM2000のフィールドテストを開始 |
平成10年(1998年) |
キリンビールの大型店舗にある冷蔵式ビアタンクサーバーにBLM2000(バクテリアバスター)を標準オプションとして採用決定 |
平成11年(1999年) |
フィンランド・サボックス社と正式に輸入販売の総代理店契約を締結、頭骨マイクを消防用ヘルメットの装備・消防車の搭載アイテムとして販売開始 |
平成12年(2000年) |
中国向け の漢字名
に変更
現在ではアジア諸国において、トップブランドとしてロングセラーの商品に成長
フィンランド・サボックス社(SAVOX)の頭骨マイクを白バイ用に開発し販売を開始 |
平成13年(2001年) |
イタリアの水溶性生分解プラスチックメーカー、イドロプラスト社と正式に輸入販売の総代理店契約を締結
防災関連以外の他の業界にも、頭骨マイクの輸入販売開始、通信関連の分野にも参入
中国向け光ファイバー素線輸出などIT事業にも参入 |